大判例

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東京地方裁判所 昭和46年(刑わ)7418号 判決 1972年11月11日

主文

被告人甲を禁錮一〇月に、同乙を禁錮六月に各処する。

この裁判確定の日から、被告人甲に対し四年間、同乙に対し三年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用(証人若松国臣および同一兜長吉に支給した分)はこれを二分し、その一づつを各被告人に負担させる。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は、いずれも自動車運転の業務に従事していた者であるところ、

第一  被告人甲は、昭和四五年九月三〇日午後五時二分ころ、自動二輪車を運転し、東京都大田区北千束二丁目四五番一四号付近道路を、環状七号線方面から大岡山方面に向かい、先行する乙運転の普通貨物自動車に、時速約五〇キロメートルで追従進行し、同所先の交通整理の行なわれていない交差点付近においてこれを追い越そうとしたが、かかる場合、自動車運転者としては、同車の動静に留意し、これが右折の合図をしたときは、追越しを差し控えるべき業務上の注意義務がある。しかるに、同被告人はこれを怠り、同交差点の約四〇メートル手前の地点で、約二〇メートル先行する同車が右折の合図をし車体を道路中央部分に寄せたのを見落とし、同車の右折の意図を察知せぬまま、道路右側部分に進出し、前記速度でこれを追い越そうとした過失により、前記交差点を右折するため、車体の前部を道路中央線より右側に進出させてきた同車の右側前部に自車の左前部を衝突させ、自車を右前方へ暴走させたうえ陸橋のコンクリート製欄干に激突転倒させ、よつて、自車の同乗者丙(当時二一年)をして、同日午後五時二〇分ころ、同区北千束一丁目四五番六号東急病院において、頭蓋内損傷により死亡させ、

第二  被告人乙は、普通貨物自動車を運転し、前記日時ころ、時速約四〇キロメートルの速度で環状七号線方面から前記交差点に接近し、これを北千束方面に右折するため、右交差点の手前約二〇メートルの地点で右折の合図をして道路中央線に寄り、漸次減速して時速約二〇キロメートルの速度で右交差点直前に至つた。ところで、同被告人は、その際、警音器を吹鳴しつつ自車を追い越そうとして高速度で接近中の甲運転の自動二輪車を、自車の右後方数メートルの地点(道路中央線右側)に認めたのであるから、ただちに右折を中止し、同車の通過をまつてから右に転把すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同車が自車の左方へ避けて進行してくれるものと軽信し、右に転把しつつ前記速度で進行した過失により、車体前部が道路中央線を越えた地点で、自車右側前部を同車左前部に衝突させ、同車を右前方へ暴起させたうえ陸橋のコンクリート製欄干に激突・転倒させ、よつて、同人に入院加療約四か月間を要する右膝蓋骨骨折、第四、五腰椎棘突起骨折、第一〜四腰椎右横突起骨折、左第五指末節骨折の傷害を負わせたほか、同人運転車両の同乗者丙をして、前記第一記載のとおり死亡させたものである。

(証拠の標目)<略>

(事実認定の補足説明および弁護人の無罪の主張に関する当裁判所の見解)

各被告人の弁護人は、本件につき各被告人が無罪であるとし、その根拠をるる主張している。しかし、当裁判所は、関係証拠を仔細に検討した結果、本件は、前記認定のような事実関係で発生したと認めるのが相当であり、これによれば、被告人両名は、いずれも本件事故につき判示ような過失の責を免れないと考えるものである。以下、問題となる事実上、法律上の争点に関する当裁判所の見解を、若干補足説明する。

一、衝突に至るまでの両車両の進行経路等について

右の点につき被告人甲の弁護人(以下、佐々木弁護人という)は、判示認定と大巾にくいちがう事実を主張し、被告人甲は右主張の趣旨に副う供述(以下、甲供述という。)をしている。しかし、右甲供述に全幅の信を措き難いことは検察官の論告および被告人乙の弁護人(以下、安田弁護人等という。)の弁論要旨(二)項の指摘するとおりであり、これに反し、判示認定の趣旨に副う被告人乙の供述(以下、乙供述という。)は、被告人両名と何らの利害関係のない目撃証人若松国臣の当公判廷における供述および検察官に対する供述調書(以下、両者を併せて、若松供述という。)によつて支えられ、十分措信するに足りると考える。もつとも、右若松供述中、(1)被告人甲車の進行経路に関する部分が、一部前後あい矛盾する点のあること、および(2)目撃した被告人乙車のフラッシャーの色に関する部分が事実に反せることの二点は、佐々木弁護人の指摘するとおりであるが、若松証人が検察官の取調べの直後、中等度の脳硬塞を患い、思考力、記憶力に障害を生じていること(病状照会回答書参照)、一瞬目撃した車両のフラッシャーの色に関する記憶に、右指摘の程度のあやまりの存することは、往おうにしてありがちのことであること等に徴すれば、右(1)(2)の二点をもつて若松供述の信ぴよう性を減殺すべき特段の事由となすことはできない。また、甲供述および若松供述に関する佐々木弁護人のその余の指摘によつても、当裁判所の前記心証を左右するには至らない。

二、被告人乙車が右折合図をした際の両車両の位置関係について

判示交差点入口の約二〇メートル手前の地点で被告人乙車が右折の合図をした際における被告人甲車の位置については、直接これを認めるべき的確な証拠が見当らないが、当裁判所は、判示のような両車両の衝突位置、両車両のそれまでの速度等から、判示のとおり、これを、右被告人乙車の約二〇メートル後方であつたと推認した。その根拠は、おおむね、つぎのとおりである。すなわち、被告人乙車が、昭和四六年九月三〇日付実況見分調書(以下実況見分調書という。)添付図面第二の①地点で右折の合図をし、速度を時速約四〇キロメートルから同三〇キロメートルに減じ、②地点では、時速約二〇キロメートルになつていたこと(乙供述)、被告人甲車の速度が、ほぼ、時速五〇キロメートルは出ていたと思われること(甲供述および若松供述)等を前提にして考えると、乙車が右①地点から②地点を経て③地点に達する間の平均速度は、時速三〇キロメートルと同二〇キロメートルの中間すなわち時速約二五キロメートルと推認できるから、右①地点から③地点までの約二〇メートルを走行するのに同車は約三秒を要する計算である。しかるところ、右三秒間に、甲車は、約四二メートル進行するはずであるから(13.9m×3=41.7m)、これから逆算すると、乙車が①地点にあつた際、甲車は、その後方約二二メートル(41.7m−20m=21.7m)の地点を進行していたと推認できる。ちなみに、以上の推認の結果は、目撃者若松の供述の趣旨にも、ほぼ符合するということができる。

三、被告人乙が甲車を発見した際の両車の位置関係について

右の点に関する乙供述を措信すると、両車の位置関係は、判示認定のとおりになるが、安田弁護人等は、その際の両車の間隔は、約八メートルないし一一メートルあつた旨主張している。しかし、右の点に関する乙供述は、同弁護人の指摘にかかるような疑問を念頭に置いた当裁判所の質問に対する答えとして、明確になされたものであるのみならず、必ずしも経験則に反するものとは考えられず、措信するに足りると考える(もつとも、その際の両車の位置関係が、かりに同弁護人指摘の程度であつたとしても、後記のとおり、右の点は被告人乙の刑責に何らの消長を来たすものではない。)

四、被告人乙に対する信頼の原則の適用の可否について

安田弁護人等は、被告人乙に、信頼の原則が適用されるべきである旨主張する。しかし、判示認定の事実関係に徴すれば、本件については、信頼の原則の適用は否定されるのが相当であると考える。すなわち、判示交差点は、いずれも歩車道の区別のない巾員6.9メートルの道路(被告人両名の車両が進行していた道路、以下甲道路という。)と同10.0メートルの道路(被告人乙車が右折進入しようとした道路、以下、乙道路という。)とが直角に交わるもので、右交差点の西南の端は、甲道路と左方へ直角に交わる巾員4.6メートルの歩車道の区別のない道路との交差点に接続している。被告人乙は、右甲道路を、時速約四〇キロメートルの速度で西進し、判示のとおり、右交差点の手前約二〇メートルの地点で、右折の合図をし、かつ速度を時速約三〇キロメートルに減じて道路中央線に寄つて進行し、漸次速度を減じて、時速約二〇キロメートルの速度で右交差点入口付近に達したが、後方でクラクションが鳴つたのを耳にしたので、バックミラーで後方を確認したところ、道路中央線を越え、高速度で接近中の甲車を自車の後方数メートルの地点に認めたのである。したがつて、かかる場合、被告人乙が、右違法な追い越しを開始している甲車との衝突を回避するため、いつたん右折を中止し、同車の通過をまつて右折すべきことは、条理上当然の措置と考えられるのであつて、かかる違法な追越し車両との衝突が容易に予見できるに拘らず、そのまま右折の続行をなすことは許されない、というべきである。この点の結論は、被告人乙のとつた右折準備態勢に、右折合図をした地点がいささか交差点に接近しすぎていたとのほかは、格別非難すべき点が見当らないこと、交差点内における追越しが禁止されていること(法三〇条)等の諸点を考慮にいれても、変らない。右折車と後続車との衝突事故につき、右折車の運転者に信頼の原則を適用した一連の最高裁判所の判例は、いずれも、右折車の運転者が、後続車の存在を現認しないまま右折した場合に関するものであり、本件とは事実を異にする(ちなみに、安田弁護人等指摘にかかる最判昭和四五年九月二四日刑集二四巻一〇号一三八〇頁も、その傍論において、右折車の運転者が、違法異常な運転をする者の存在を認めた等特別の事情がある場合は、信頼の原則の適用外である旨判示している。なお、後続車の存在を認めた際の両車の距離は、判示のとおり数メートルであつたと認めるのが相当であるが、同弁護人主張のとおり、これが八メートルないし一一メートルであつたとしても、右の結論は、何ら左右されないと考える。)

(法令の適用)<略> (木谷明)

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